文化・芸術

あいちトリエンナーレ見てきました!(細かい感想諸々)

読者の方に関心持っている人が見えるので、まずはこちらを書きたいと思います。

もうちょっと待ってて下さい。

記事は長くなります(笑)。こんな感じで書きます。記事分けるかも知れませんね。

・まず始めに

あいちトリエンナーレ公式サイト

https://aichitriennale.jp/

トリエンナーレにはこれまでに2回ほど行っています。初回の愛知芸術センターへ、そして2回目だったと思う2016年に名古屋市美術館会場に。

2回目のそれは、本当は名古屋市博物館開催の「ポンペイ遺跡」展を当時Yu-Yuさんの通っている学校の寄宿懇談の前に行こうと思って、会場を間違えて(良くあったらしいです;)来てしまったためで、時間的にポンペイ展は無理だったので、成り行きで見たという感じです。

豊橋でも会場だったときがあるのですが、その時、生きたインコなどの展示方法や管理が杜撰であったため、問題となりました(その後改善)。

今回は展示の一つ「表現の不自由展」があり、テレビで紹介されていて、見た瞬間「観てみようかな」と思いました。

所が、3日目で中止になってしまう事態に。

私の周り(と言ってもネット周りだけですが)には、最初目にしたのはこの展示に対する反対意見の方が多かったです。最初その意見を読んでいて、実際の展示内容どんなものだったのだろう?と思い以下のサイトを見ることができたのでした。

https://censorship.social/

サイトで展示の紹介を観た上で、「これがそんなに非難されるべきものだったのだろうか?」と逆に「私は」思うようになりました。

今回のトリエンナーレ=芸術監督の津田大介さん、に結びつくイメージが大きいですし、実際監督をされた訳なのですが、不自由展は別組織として実行委員会というのがあって、以前にも同じ趣旨で展示活動などしていたのだと分かりました。

それに展示は少女像や天皇陛下のものだけではなく、他にも色々あったので、それらが一斉に展示中止になったのは悲しいと思ったのと、中止の背景に脅迫電話が関係部署に鳴り響いたことなどが分かって驚きました。

作品を快く思わないとしても脅迫なんて、と。

「賛否以前に、圧倒的に脅迫が悪いわけですよ。何故そこに矛先が行かない?」とツィッターされた方も見えます。そう、シンプルに私もそう思う。

これは、以前にイラク日本人人質問題での過剰なバッシングにも似た恐ろしさを感じました。(自衛隊派遣のあった頃の話です。あのISが猛威をふるった頃は、状況かなり変わっていてリスクも倍増だったと思うし、見境も無いし、日本人への見方も変わっているだろうからもっと気をつけないといけなかったですよ;でも過剰な批判はしないけど)

少女像は元々、反日のために作ったのではないと作者の方が言われています。残念なことに韓国で日本批判の時、少女像が反日の象徴みたいになってしまってはいるとは思いますが・・・。また「天皇の絵を、、、」の作品、本来の意味は元々の美術館で展示されず、目録を燃やされた事への問いかけだった感じですかね。とはいえ、私だったらその表現はしなかったかも。

何にしても、賛否するにしても、展示で実際に作品を見ないと何とも言えないわけで。だから賛否については結局見れなかった今も言えないかな。

ほら、7月に行った天生峠で、パンフレットとかで「ササユリもニッコウキスゲも咲きますよ」とあっても「ふ~~ん、」ですが、実際に平地にもあるササユリと、高層湿原のニッコウキスゲが近い距離に一緒に咲いているのを見て初めて「なんだか不思議な感じ~」になったように。

展示作品を巡っての、見た上での賛否は勿論あって良い。肝心なのは脅迫とかいわれのない非難はあってはいけない。意見を伝え合うのは良いけど二極化したり対立、分断になって終わってしまうのは残念、と思います。

(どうも私もこの展示で「分断」を経験しているようです。私はそうは思わない、と表明しただけ、攻撃とかはしていないし、否の意見を全否定したわけでは無くていわれのない非難だけは合点がいかなかった、それだけです。)

因みに今回のことで改めて従軍慰安婦問題について知る事になりました。慰安婦で犠牲になったのは朝鮮の人だけではなくて、他国、そして日本人女性も見えるのですよ。嫌韓として観るのではなく、戦争になるとどこの世界でも起こりえる問題として捉えて行った方が良いですね。

今起こっている不必要な日韓関係悪化も憂えています。

長くなったね、やっぱり分けて書きます;

以下、このようなタイトルで続く・・・。

・観に行こうかな、と思った矢先に

・ようやく観に行きました。

・所感など

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名古屋市美術館 ビュールレコレクション展

7月31日に、再び名古屋市美術館へ行ってきました。
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地下1階のここからの眺めが好きです。
6月に、鳥友のTさんと「モネ」展を観に行き、もう1度行こうかな~、と思っていましたが叶わず。しかし、その次の特別展にも「モネ」作品は数点あり、他にも見応えありそうな絵があるようなので行ってきました。
題して、
「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」
なんでも、第2次世界大戦中に武器商人として成功を収めたビュールレさんという方が、優れた絵を私財で集めたコレクションなのだそうです。
このあたりの経緯などは美術館のサイトや展示の説明などでどうぞ。。。
絵は、見応え会って良かったです。
モネの時ほど混んではいなくて、ゆっくり見ることが出来ました。
モネの絵も良かったです。
怖かったのはゴッホの最晩年のマロニエの絵ですね。明るくて、綺麗なのですが、その明るさがなんだか妙で、もうある意味迷いもなくなった境地だったのか、そんな怖さを感じてしまいました。結構グッズ化されて売っていましたが。
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この絵だけ撮影可能となっていました。フラッシュはダメとのこと。道理でシャッター音が良くすると思っていたらそういうことだったのね。スマホで撮らせていただきました。モネのスイレンの絵。大分以前に、パリ行きで、オランジュリー美術館でも観たことを思い出しました。
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これは名古屋の専門学校の生徒さん達だったかな?が作った、今回の展示の目玉でもある「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢(可愛いイレーヌ)」のモデルのイレーヌさんが着ていたドレスを再現してみた、着ることも可能らしい「なりきりイレーヌ」のコーナーでした。
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ミュージアムグッズでは、結局絵はがきになってしまいますね;レプリカ買っても飾る場所がないですし、クリアフォルダーはいくらでもあるし、お菓子はやたら高い;左上から時計回りにモネのスイレン、展示には無いですが、雪景色のモネのカササギ、ゴッホの「日没を背に種まく人」中央の花のある樹は浮世絵から参考にしたようです、やはりモネの「ジヴェルニーモネの庭」、そして残り2つは目玉の絵「可愛いイレーヌ」です。モノクロの方は入場券と共に頂けました。
この「イレーヌ」の絵については、昔から知っていて、一時憧れもあったのですが、絵のモデルになったイレーヌさんの運命は、大戦に翻弄されたものだったようで、娘さんご家族をユダヤ人であたっため弾圧の際に亡くされたようです。
やがて本人の描かれた絵もナチスに没収され、その後一旦取り戻したのですが、ほどなくして売ってしまったようで。
それを購入したのが、その大戦の最中に武器を売ることで財をなしたビュールレさんだったというのですから、なんだか皮肉だと思いますね・・・。
NHKでも取り上げていましたが、売った理由は絵に憧れていたピアニストのゲストさんが推察していたような「綺麗事」ではなかったみたいです。
この辺、中日新聞で、テレビやネットでは知らなかった取材内容も交えて3回記事にしていたのを思い出し、切り取って絵はがきと一緒に保管しました。
因みに、モデルのご本人さんは、この絵は嫌いだったそうです・・・。
9月24日まで行っているそうなので、もう1度、見に行くかも・・・。
この後は、同じ伏見周辺なので、かねてから気になっていた所へ寄ってみました。
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「ランプライトブックスホテル名古屋」
本と一緒に泊まれるホテル、として最近出来て、宿泊でなくてもカフェ利用出来るというのでどんな所か行ってみたのでした。
面白そうな本が並べてあって、落ち着いて本が読めて、良い場所ですね。
ただ、スイーツ、を注文しましたが、スイーツと言うよりは軽食という感じで、本を読みながら食べるのには具合が;器状になっているパンの中身の具をまず食べないことには綺麗に食べられず、まずこれを食べてから本読む感じでした。
次回来るときは飲み物だけにした方が良さそう。
因みに本は売り物でもあるので汚さないように。
泊まりでも行ってみたいです。1階の本は買わないと部屋には持ち込めないようです。
そばには木々と水辺のある公園があって、良い感じでした。
う~~ん、名古屋の真ん中当たりのこの辺に来ると、緑は貴重な感じで、憩う人も見られますね。
そして近所では普通にありそうな樹齢のタブノキが、しめ縄蒔かれて通路上にあったり。
改めて、都会の人と、やや田舎の当たり前に林がある人との感覚や接し方の違いを感じたような気がします。
名古屋で農的な風景を再現している場所も見たことがありますが、どこか憧れ感もあってかおしゃれな感じなんですよね。実際はちょっと違うぞ、みたいな、上手く言えませんが実際はもうすこし土臭いかも(笑);
例えば、去年Tさんと東区周辺に行く途中「竹屋」さんを見たのですが、豊橋のこの辺りでは竹は身近で、なにかあれば所有者さんのところから伐りだしてくるといった感じです。
竹は繁茂しているのでむしろ使わないとですが。
なので林や木々があって、身近に自然が当たり前にある東三河の良さ、その価値を変に整備とかして「綺麗になった」なんてことはせず、生き物たちの生息圏の観点もふまえて見直して欲しいと思うのです。
話が逸れましたが、
時には行きたい名古屋市、そして進学説明会で着ていったワンピースも無事着られたし、リフレッシュもできたし、良かった1日でした。ちゃんと夕食準備前には豊橋に帰りましたしね。
自然のある中も、そして都会も、両方いいと思っています。

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ムーミンを知ったのは・・・。

何でもセンター試験に題材として出たことで、物議になってしまった「ムーミン」ですが。

公式サイトさんの見解が割と大人だったでしょうか。

http://line.love-moomin.jp/20180116/moomin_official01.html

こっちも参考に。

http://moomin.co.jp/blogs/finland/37037

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これは、私が持っている原作の文庫本。「ムーミンパパ海へ行く」です。2番目のリンク先画像にあるような緯度などの表記は載っていないですね。

さて、センター試験には、ムーミンは昭和の頃の初期のアニメ画像が出ていて、その他に「小さなバイキングビッケ」「ニルスのふしぎな旅」が北欧を舞台とするアニメとして紹介されていました・・・。

ムーミンは叩かれて、他の2作は良いのか?他は思いっきりマイナーですが・・・。

そしてこのアニメ3作が放映されたのは、もう今や見事に○高年世代となってしまった私が子どもの頃だったのですよ。そう、今受験に来ている18歳が主な方々は知らないのがフツウと思われる;

恐らく、問題作った人は、私とほぼ同世代ですな;そしてやはりオタクなのだろう(爆);

ムーミンはそこそこ知られてはいますが、現在のそれは近年の北欧ブームで雑誌に載ったりしていたり、グッズが紹介されるようになったことから来ていて、多分にざっくりと「北欧だろうな」とは思っても「フィンランド」と的確に知っている人は絞り込まれるだろうと思います。

しかし初期のムーミンアニメも「フィンランドが舞台なんだ~」なんて当時見た人で思った人はいないだろうな。たいていの人が、ムーミンは妖精の仲間のトロールではなく「カバ」だと思っていたと思います!そして、お話し的には「友達と仲直りしよう」「悪いことはしては行けません」みたいな、日本の子ども向けアニメにあるようなテイストがあって、原作のようなちょっぴりブラックなユーモアとかからは離れていたと思います。

だから、入試問題向きでは無かったと思うね。

その他諸々あってか、原作者トーヴェ・ヤンソンさんは日本の初期のアニメは気に入らなかったようです・・・。原作者さんが、漫画家なり、作家なり、ある程度制作者が加味したアニメを見て、「私の作品じゃない」となるのはありがちみたいですね;初期ハーロックを松本先生が気に入らなかったように(爆;)。

でも、うろ覚えですが、私は初期のアニメの方が、原作にもあるファンタジーの要素だけは上手く伝えていたのではなかったかな、と思っています。その後の1990年の原作に忠実な平成版ムーミンアニメ、少し見たけれど、その割には深みが足りなかった気がします。でもその頃、あまり居間でテレビ見るのは実家で居づらかった時だったかも知れず、しっかり見ていないのですが。そう、平成版ですら28年前なのですよ~~。

そんな私がムーミンの原作に出会ったのが、高校の図書室だった。友達が、帰りのバス時間待ちで図書室で時間をつぶしていたので、一緒にいた頃、ふと本棚に「あれ?ムーミンの本?」と見つけたのが始まり。以後、借りて読んで、アニメとは違った世界観に惹きつけられ、本屋さんでシリーズを買いそろえるまでに至りました。尤も、子どもの頃に初期のアニメを見ていなかったら、果たして本を手に取っただろうか、と思うと、例えヤンソンさんには不本意であっても、あのアニメは日本のファンに原作を結びつけた功績はあったのじゃないのかしら。

その後ようやく出た、シリーズの本当の最初のお話し「小さなトロールと大きな洪水」も、「ムーミンコミックス」もすべて揃えてしまった。

魅力はユーモアとちょっぴり風刺と、優しさと、そして細密な原画の世界ですね。

ムーミンのグッズも、ハンカチやマグなど、結構集まりました。色々コレクションとなってしまった・・・。このことで記事にするとキリがないので割愛;もうモノを持つのは年代的に止めたいので、今後はしないでおきたいですが。

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最近集めて使うのには勿体なくてしまっているハンカチを、交互にフレームで飾ることにしています。

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こちらも。この方面でももうコレクションする意図は無いつもりのレターセット。これはごく最近のモノ。

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で、ここからは、まだムーミンの原作画をモチーフとしたグッズがそう無かった頃、実家の近くの書店で出ていたレターセットの数々。感激して買い集めた記憶があります。

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こうして見ると、昔のモノの方が、シンプルだけど原作画の雰囲気を上手く活かしたセンスになっていますね。最近のはカラフルだったり、ポップ感があったり、「かわいさ」を押しだしている感じがある;

現在は、ムーミングッズ、探せばあふれるほどある時代となりました。専用ショップもあるくらいです。アラビアマグなどは、コレクターアイテム化していて、廃盤モノ、限定モノは恐ろしい値段が付いてしまう∑(゚∇゚|||)

以前、短大でお世話になった先生が勤めている図書館休憩室におじゃましたときあったのは、ムーミンの今は製作されていない廃盤デザインのマグ達。今では相当なプレミアム価格が付くことでしょう・・・。

ただ、この頃はなんだかな、ディズニーのような商業的な要素が出てき始めている気がしないでもなく、どちらかと言えば物語のテーマとか、世界観とかを味わって大切にして欲しいムーミン作品なので、その辺が複雑な気がしてしまいます。日本にやたらテーマパークみたいなのは出来て欲しくないな、むしろ日本の自然そのものの中にムーミン達のような自然と楽しむ気持ちを見いだすなどして欲しい・・・。

数年前、原画展を観に行ったとき、前に並んでいた若い女の子達が、絵を見る毎に「可愛い!」を連発し、ダンスを踊っているムーミン達の原画を見て「フェス中だね」と話していました・・・(笑)。願わくば、是非とも原作本を手にとって読んでいただき、作品世界の神髄を知っていただけ、今度見るときはもう少し違う表現で語れると良いな、と思ったオバサンでした・・・。

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アフターそれぞれ。

さて、9月の豊橋公園定例観察会では、下見の日と、当日の後、それぞれにアフターを楽しむことが出来ましたので、その辺りを少し。

下見の日の後は・・・。

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石巻山がよく見えるこの場所に。

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今まで、豊橋に来て20年経ちますが、外から眺めるのみであった「牛川の渡し」に今回初めて乗って川を渡ることが出来ました。

川から流れる風は涼しくて心地よかったです。

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この水草はなんだろう・・・。

観察会当日後は、呼びかけで数人の方と外でお昼を食べ、Hさんからコーヒーや抹茶を、他の方からスイカやリンゴなどをごちそうになりました。ありがとうございます。

それから、公園内の豊橋市美術館で、松本零士展が開催中なので、観て来ました。

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松本零士先生と言えば、代表的なヒロインはメーテルですが、私はエメラルダスが好きですね。入り口に見えました。

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ハーロックもいた。

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勿論、999も。

展示内容は、やはりメジャーなイメージからか、999とヤマトの比率が多かったですね。でもハーロックやエメラルダスも展示ありましたよ。トチローがいなかったな(泪;)。「我が青春のアルカディア」セル画でハーロックとゾルの「ゴーラム!!(乾杯)」場面があったのはちょっと嬉しかった、あの場面、ツボだったもので。

何よりも驚いたのは、松本先生の全盛期の頃の原画が見れたのですが、とても繊細で緻密な美しさがあること。これはよかったです。

先生の作品はもっともっと色んなジャンルがあるので、もう少し展示内容の幅が欲しかった気もしますが・・・。

1回では見切れなかったので、また観に行く予定です。

 

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