心と体

私も「自然派」ですが・・・。

昔から、お皿を洗うときや洗濯、シャンプーや歯磨きなどは、合成洗剤ではなく石けんを主に使っています。
再生紙の製品を積極的に買っています。
ペットボトル飲料はなるべく買わないようにしていますが、家族が買ってしまいますね。
リサイクルも、推奨したいし、ゴミのポイ捨てしませんし、分別もしていますし
この頃は夜更かししなくなりましたね。→毎朝Yu-Yuさんのお弁当作りもあるので。
原発は無くなって欲しい、しかし自然エネルギーも無秩序な使い方であっては行けないと思っています。
自然を守る活動にはなるべく賛同しています。
そして何より自然の中に出かけることは好きです。人だけではなく、自然界の生き物たちの将来も考えたいです。
そんな「自然派」である私ですが、
ワクチンを否定する「反ワクチン」の考え方には賛同は出来かねます。
ワクチン接種を否定の考えには、「人の体に自然ではない化学的な物質を入れることの懸念」があり、「危険な副反応」を心配するものがあると思います。
インフルエンザは風邪の一種なので、予防接種には反対!・・・。
確かに、中には接種することで、却って重大な副反応が起こったケースもあります。子宮頸ガンワクチンなどは、もう少しその辺りの解明を進めて、安全性を追求して欲しいと思っています。
しかし、全てのワクチンを危険と見なすのは、非常に危ないと思います。
今、予防接種を敢えて受けてこなかった宗教団体に属する若い人たちが、セミナーで麻疹に集団感染してしまい、それと知らずに色々出かけてしまって、二次感染、三次感染を引き起こしてしまうと言う事態が起こりました。
また、海外旅行先で感染してしまったケースも。
麻疹は今も感染したら治療策は無いそうで、唯一の防除が予防接種とのことです。
私は、子どもの頃罹り、幸いにも今元気でいますが、重症化、最悪助からなかったというお話しも・・・。
この辺りは体験談がネットで検索すると出てきますよ。個人のツィッターなどであります。
ですので今は麻疹を移しに行くという「麻疹パーティ」はしないでという呼びかけがあったりします。
ワクチンの副反応よりも、重症化のリスクの方が高いのですね。
また、これは主に愛犬になりますが(または海外に行く方)、狂犬病用予防接種は絶対と思います!!
これは、副反応どころの話ではなく、もし罹ったら、絶対に助からないので・・・。
インフルエンザのワクチン接種は、まだ判断にゆだねても良いかもしれませんが、これとて、脳症の怖い事例を最近知りましたし、悪くすれば死んでしまう話も・・・。
実際年末罹りましたが、風邪に似ていて、しかし急な進行やあのきつさは、「違います」ねぇ~~。
また、身の回りに、罹ることで重症化しやすいハイリスクの方(お年寄りなど)が見える場合は、感染させてしまうことの怖さもありますので、受けた方が良いですね。
以前、中学か、高校の頃、多分社会科の時間だったと思うのですが、とある先生が、「人間社会も、人口が増えすぎると、病気が蔓延したり、戦争が起こったりしてきた」という話をしていて、印象的だったことを覚えています。
野生界の生き物たちも、増えすぎると、今度は病気が流行ったりして、数が減ると言うことが起こりますね。
あまり一定の種が増えすぎると、生態系バランスが崩れ、ひいてはその種の存亡にも関わるので、自然淘汰なんだと思います。
ということで、病気の流行は、酷なことを言うと自然淘汰ということになる。
ワクチンを全部否定して、自らの免疫力で過ごすと言うことは、一見素晴らしいけれど、最悪重大な感染症に罹り、重症化、望まない結果になったとしても「自然淘汰」なのだから受け入れる、ということになる・・・。
もしもお子さんを守るため、という観点からだったのなら、究極のところその選択をするのか、と言うことに。
それから、他の方への感染させてしまうリスクはどう考えるのでしょう?自らは治ったとして、感染させた相手がそうだとは言えない。
まあ、人間は、地球上のあらゆる生きものに迷惑をかけているので、増えすぎない方が良いとは時に思ってしまいますね。
とはいえ、全ての自然派のお母さんが、こんな観点で子どもを育てているわけではないだろうし、自然淘汰を受け入れる気持ちにはなれないものだと思います。
戦争も、近代戦争のそれは、他の生きものや地球にも害を及ぼすので、ない方が良い。
科学を否定するのではなく、しかしおごり高ぶるのではなく、子どもの健康を守り、環境と共生して生きていくのかになると思うのだけどね。
元々ワクチンの歴史は、悪徳利益のためではないんですし。
下の記事の更新がまだで、済みません。近いうちに書くよ。ご近所ネタも、他のフィールドネタもしなくては・・・。

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行き詰まった時は、あの森へ

Photo

すべての始まりはこの場所からだった。
私は他の方と知識を張り合うつもりはないし、今日もそのつもりなどみじんもなかった。
イニシチアブを取られる感じだったのだろうか?
ただ、久しぶりにあった木々の花の名前を嬉しくて思わず叫んだだけだったのに。
自然観察をしようと思ったのは、生き方だから。名誉でも知識を見せたいためでもなく通信の絵を自慢したいためでもなかったはずであるし、写真を見せて喜びたいはずでもなかったはずだ。
モノスゴイ人などでは勿論ない。
ただただ、今日この日出会えた生き物や自然が嬉しくて、それを話したかったりしているだけであるただのおばさんに過ぎない。
この場所に出会って思ったように、自然のことを考えて生きよう、人間同士のエゴや傷つけあい、利用したりされたり、裏切ったり、要領だけで得をして生きることのみを考えるのではなくて、ささやかに自然の中での喜びを大切にして生きていこう、そう思ったはずである。

今一度、原点を見つめ、ある意味でのリセットが必要となっているのかも知れないと感じた日となった。

こういうときはあの森へ行こう。

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