自らを大事にしないボランティアは続かない
某所ボランティアがどうやらいろいろ大変なことになっているようです。
極めて薄い関わりでしか無く、今後もあるならそれくらいでしか出来ないので、力にも、議論にも出られません、申し訳ないけれど。
ただ、言えるのは、自らを破滅までして行うものではない、ということ。
また他者を破滅させるのもナンセンスではあるが。
基本、自らの健康と家庭などがきちんとあってこそ、こうしたものは出来るのだから。
対価をもらう仕事ですら、あまりなオーバーワークは良くないのだから。
そして、、ボランティア協力のお願いで、最初から苦行ありきを強いるようなメッセージは、、やはり2の足、3の足を踏んでしまう。
また、問題の根本が具体的に見えない中で、ただ情に訴えるのも良い方法とは思えない、ごめんなさいですが。
こうした活動は、楽しさや、前向きだったり、大変さが(少しね、あまりに多いのはイカン;)あっても何らかの意味があることをきちんと押し出せる物であって欲しい。
別のジャンルが違う場所では、事務局の協力者の奴隷扱いな感じが見えてしまい、辞めてしまいました。いや、私はそんなに関わり深くは無かったですが。
最近、NPOなどこうした市民団体活動での労務問題とか、パワーハラスメントの問題も言われ、取り上げられるようになったけど、これは良いことだと思う。
健全だったらこんなことにはならないで維持されてきているものだと思うので。
*別の方が「基本は子ども!」自らや家庭を犠牲にしてしまうのは良くない、線引きが大事と書かれてて、実際そのようにされていますが、それは大事なことだとも言えます。
中途半端に引き受けるのは、却って良くないですしね。
*ある場所で、一見冷たく無機質なような(私としては基本情報だからそうとは思わないのですが)話題しか出さないのは自衛のためでもあることを付け加えておきます。
しかし、、、このところの妙な流れで、折角の記録を書くこともままならなくなってしまった;しばし寝かせておこうと思います。
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